柔道整復師とは?

柔道整復師とは
ほねつぎ・接骨師・整骨師として広く知られ、厚生労働大臣免許の下で打撲、捻挫、挫傷(筋、腱の損傷)、骨折、脱臼などの施術をする職業の正式名称です。
柔道整復師は、大学受験の資格がある者が3年以上、国が認定した学校・大学で専門知識を修得し、解剖学、生理学など11科目の国家試験をパスして取得できる資格です。
柔道整復師が施術を提供する接骨院や整骨院は公的に認められた機関であり、保険医療機関と同じように保険証でかかることができます。
また病医院等での勤務やスポーツトレーナーとして、活躍の場を広げています。
介護保険制度の中でも、ケアマネジャーや機能訓練指導員として福祉分野に貢献している人もいます。

柔道整復術とは
柔道整復術は日本古来の医術の一つで、「柔術」を基本とし怪我人を回復させる技術として伝承されてきました。明治以降、この技術に東洋や西洋の医学技術を織り成して発展向上を遂げ、現在は骨・関節・筋・腱・靭帯など運動器に加わる急性、亜急性の原因によって発生する骨折・脱臼・捻挫・挫傷・打撲などの損傷に対し、手術をしない「非観血的療法」という独特の手技によって整復・固定・後療等を行い、人間の持つ自然治癒能力を最大限に発揮させる治療術です。

施術イメージ
柔道整復術の歴史
最も古い記録によると、奈良時代の「大宝律令」(701年)に外傷を専門とする官職のことが記述されおり、「古事記」(708年)にも医療の記録が記述されています。
また、養老律令(718年)の中の「按摩官制」に「主な職務は、現在で言うところの骨・関節損傷の整復・包帯・マッサージ等」と記載されており、これが歴史的にはむしろ柔道整復の起源であると言えます。
平安時代になると日本最古の医書である「医心方(いしんぼう)」(984年)18巻にも骨・関節損傷の治療法が記述されています。
この当時は「ほねつぎ」の治療を受けられたのは、貴族階級の人々だけであったようです。
本格的に一般庶民が「ほねつぎ」の治療を受けられるようになったのは江戸時代に入ってからで、高志鳳翼(こうし ほうよく)の「骨継療治重宝記(ほねつぎりょうじちょうほうき)」(1746年)や、二宮彦可(にのみやげんか)の「正骨範」(1808年)、華岡青州(はなおかせいしゅう)「欄方位」(年代不明)などの書物が残されています。
しかし、明治時代の1885年には「従来の接骨業の廃止」が明治政府により発令され、医師が「ほねつぎ治療」を行うことは認められていたのですが、「ほねつぎ治療」を専門に扱う人は存在できなくなりかけたのです。
1912年には柔術家を中心にした公認運動が起こり、大正時代の1920年に内務省が省令を発令し接骨術を「柔道整復術」という名称で公認し、そして1970年に「柔道整復師法」が制定され、現在のように柔道整復師として働ける人が増えてきたのです。

701年

『大宝律令』

708年

『古事記』

718年

『養老律令』

984年

『医心方』18巻


●この時代の接骨術

医心方の流れを汲む「金創医(きんそうい)」という外傷専門医が出現。記録によると、この「金創医」は骨折や脱臼、打撲、捻挫などを専門的に扱っていたといいます。


1746年

『骨継療治重宝記』

1808年

『正骨範』


●この時代の接骨術

西洋医学と東洋医学が融合する形で現在の柔道整復術の原形が体系化されています。その過程で歴史に残る治療家が続々と登場します。
1868年

『大政官令』

1874年

『医制』
これに伴い接骨業者は次第に医療制度の枠組みの外に置かれるようになる。

1881年

漢方の医学に伴って顧みられなくなる。

1885年

『入歯、歯抜、口中治療、接骨営業取締法』
既得権者も医術開業試験を受けなければならなくなり、接骨業者は激減。

1912年

柔道家達が接骨業公認運動を開始。翌年、各流派の柔道家が集まって「柔道接骨公認期成会」を結成。

1920年

内務省が省令を発令。接骨術を「柔道整復術」という名称で公認。

1947年

『あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法』

1951年

『あん摩師、はり師、きゅう師及び柔道整復師法』
同時に文部・厚生共同省令が発令され学校教育制度がスタート。

1970年

『柔道整復師法』(法律19号)

現在に至る。